30年ほど昔、はじめてBURNを聞き、これは何だ!!!とショックを受け、それからDEEP PURPLEを弾きまくる。
ただ、私の気持ちを理解できる仲間は少なく、DEEP PURPLEを
バンドで弾くことはなかった。
それからの道のりは長く、多くの仲間はSMOKE ON THE WATERを
ロックの入門曲としてとらえ、その奥深さを知らずに去って行った。
ある時、私のミッションはDEEP PURPLEの良さを伝えることだ! と悟り、嫌がる家族も巻き込んでDEEP PURPLEを弾く日々を送っている。
おかげで今は充実したライブ活動ができている
とは言っても日本人なので、ギタープレイは和風です。
愛称も和風です。おまけに髪型は相当やばいです。
ニックネーム "Chamy" はChameleonの略称。
爬虫類のカメレオンであり”無節操”と同義。
しばしば "カメ","波止場の兄貴" とも呼ばれる。
中学時代にキャロルのコピーバンドでギターを弾き始め、 高校時代にクリームとBBAに感銘を受けベースを持つ。
大学進学後、人生修行として
高名な老舗ライブハウス下北沢ロフト最寄り
ピンクの殿堂 "長じゅばんサロン大奥" に勤める。
感性〜リズム感に至る、現在の音楽的ファンダメンタルはこの時期に熟成。
以降、ロックンロールをベースとしたオリジナル楽曲でのバンド活動を続ける。
本格的カバーバンドはパープルムーンが初めて。
ディープパープルのカバーに徹底した結果、同バンドへの認識は、
形式美の入門編ハードロックから、
自由な大人のロックンロールに変化。
よって昨今のステージではコピー的要素が大幅欠落。
その他のプロフィール
1970年 多摩湖(東京都村山貯水池)に移住。
1971年 TV番組の公開録画で猪俣猛氏を見てDrumsに傾倒、Beatlesなどをコピー。
1974年 バイト代で初のドラムセットを購入、高校の友人とバンド活動を開始。
1975年 身の程知らずにもDeepPurple、Yes、EL&P、Focusなどをコピーするも文化祭での演奏自体は空中分解。
それでも一応ウケたと勘違いし味をしめる。その時、医者の息子のマーシャル4段重ねに負けないパワーを身に付ける。
1977年 大学入学と同時に軽音楽部に入部、Drummer人材不足から種々雑多なバンドに参加。
合宿で一昼夜Drumsを叩き続ける中、Nessieと命名される。
1982年 就職と同時に隣の狭山湖(埼玉県山口貯水池)に移住、会社でオリジナルのロックバンド、女性Vo.のポップバンドなどに参加し会社の音楽祭に出演。
1988年 メンバーの退職、異動などによりバンド活動が困難になり、子育てを契機にバンド活動を断念。
2002年 大学の軽音部OBが参集した合宿に参加、DeepPurpleの数曲を一発完奏し、『まだまだイケる』とまたまた勘違いする。
2004年 某社音楽祭への出演を契機にPurpleMoonに正式加入、現在に至る。
Buddy Rich、JazzDrumの上手下手はよく分かりませんがこの人は名実共にジャンルを超えた不世出の世界一drummerでしょう。
1970年代のRockDrummerはセッティングからSoloのフレーズまで例外なくこの人の影響を受けているとしか思えません。
Rock系では、PurpleコピーをやっているだけあってIan Paiceは当然好きなのですが、Bonzoと、PFMのdrummer、Franzは別格。
Bonzoはあの26"ノーミュートの1bass、シングルペダルであの音、あのフレーズが叩けなければみっともないだけ。
コピーする気起きません。GoodTimes…やRock'nRollのエンディングでやる気を失いMobbyDickの映像で気絶…ってカンジですね。
80年代前半に伝説?のバンド『奇面組』のキーボードとして渋谷屋根裏あたりでライブ活動を開始。
その後、『いかねば大黒』『デュルムン』『C&F』に加入して、クラブチッタ川崎、本牧アポロシアター、ベルファーレ等のメジャーなハコにも出演なんかしておりました。
パープルムーンの前身のワンブルではメインコンポーザーとして十数曲を発表しましたが今は休止中です。(シクシク)
最近はパープルムーンの他にも、色々他流試合をやっており、一昨年は北京でライブを敢行。今年はソウルでのライブを画策中です。
また、豊田の『バンボラ』というお店でプロミュージシャンの方々とブルース系のライブに共演させて頂いたりなんかもしております。
興味のある方は是非見に来てやってください。
最近で一番うれしかったことは、イアンギラン様と握手しちゃったことかな?(注)
いずれにしても、まだまだ若いもんには負けないパワフルなオルガンサウンドを聞かせちゃいますので、皆さん応援ヨロシク!!
大学の音楽サークル "Pops研" にて同級生にこう呼ばれたのがきっかけ。
(同級生の履修語学はロシア語だった)
その後パソコン通信(Nifty Serve っ!)から始まり現在でも一貫してこの読みのハンドルを使ってるので、街中で呼ばれてもちゃんと返事します(笑)
John Wetton(後期King Crimson,UK,ASIA etc.)、Greg Lake(EL&P)、Ian Gillan(2期DP)、Devid Coverdale(3期DP,Whitesnake)。
Deep Purpleの歴代Vocalist、皆唄うのは大変なのだけど特に3期のGlenn Hughes、声高過ぎ。確かに上手いのだけど彼のラインを唄うのは喉の調子が良い時でないと難しいですよ。
Wetton と Lake の、ノンビブラート"British Tenor Voice"は無条件に好きです。UK,ASIA、今なら唄えるかなあ。
Keith Emerson(EL&P)、Eddie Jobson(UK)、Jon Lord(DP,Whitesnake)、難波弘之(SOW,etc)。
ハードロックと同じかそれ以上にプログレ好きですがKeyは全くテクニックが追いつかないのです。
Jazz系でも好きな方沢山いるのですが、現在のイチ押しは上原ひろみ。弾いても弾いても弾き足りず弾き倒すところが潔いです(笑)
HistoryにもあるようにKeyも弾くのですが、最近は週に一度鍵盤に触るかどうか。。。指が動きませんね。
元々は女性ボーカルを擁した6人編成のバンド"Once in the Blue Moon"(略してワンブル)が前身。
2003年夏に職場の有志でやっている音楽祭に出る予定だったのだがボーカルが事情により出られない事に。
残されたおやぢ達が考えた末、twin keyboard の一方ivanovがVoをとりDeep Purple のコピーをやったのが始まり。
なのでバンド名も最初は"Once in the Blue Purple Moon"だった。
本番数日前にTame(G)が急病に倒れるものの、急遽Kun-pei(G)に代役を務めてもらい、無事音楽祭をこなせたのでした。
割と評判が良かった事に味をしめて(笑)以降活動を継続する事になる。